「マインド・テクノ」~from Hypnonation 長尾啓二

京都・大阪を中心に活動する「野良」不動産ブローカーが、約50年の人生で氣付いた「深層心理」について語って行きます

「聖徳」という美名の意味

昨日の記事で
聖徳太子」制定の
十七条憲法から
日本人の意識の深いところにある
「和」について書きました


少し本題から外れますが
聖徳太子について
私が知ることを書いてみます


近年の学校の教科書では
聖徳太子」という存在はなく
厩戸王」として書かれているそうですね


まさに「聖徳太子」は存在しなかったと
今は位置付けられているようです


私が教育を受けた
40年前とは大きな違いです


聖徳太子」はいたか?いなかったか?


私の見解は
「確かに存在した」が
それは
後日大きく「脚色」された存在であった
というものです

「聖徳」とは
これまたすごい文字で
表されてます
「聖」と「徳」ですものね


厩戸王が生きている「間」に
「聖徳」と呼ばれることは
なかったはずです


あれはおくり名ですから。
(死んだあとに贈られる名前)


唐突かも知れませんが
梅原猛さんや
井沢元彦さんが仰るように
私も「聖徳」は
「怨霊」になった(と昔の人は信じた)人物だと
思います


これについては
多くの説がありますが
私は単純に
聖徳太子」の「墓」の位置に注目してます


聖徳太子のお墓は
奈良県の飛鳥地方や
法隆寺のある斑鳩地方ではなく
ひと山越えた、大阪の
その名も「太子町」にあります


この太子町は
飛鳥時代天皇を含む
多くの皇族の墓地(古墳)がある所です


この地に埋葬されている方々を考察すると
一つの共通点が見出されます


用明
推古
敏達
孝徳


敏達天皇を除いて
「後継者」がいない
あるいは子孫がいないのです


これは死後「祭祀」するものがいないということです


古代において
「祭祀」する者がいないというのは
一大事なはずですが
直系の子孫がいない以上どうしようもありません


厳密に言えば
敏達天皇
直系という意味では
かなり怪しい

 


ここは古代史を扱う場所ではないので
これ以上は言及しません。


聖徳太子を含む
これら皇族が
「飛鳥」「斑鳩」から
遠く離れた、この「河内」の土地に埋葬された理由


しかも
「わざわざ」
二上山のすぐ裏であるという事実


さらに
飛鳥、斑鳩から見て
「西(あの世」」の方角で
且つ、「二上山」が元々は
死の山と位置付けられているにも
関わらずです


遠慮なく私見を申せば
これら「皇族」は
別の「皇族」たちから
「打ち捨てられた」存在であるというのが
見立てです


特に「聖徳」と
わざわざ一人の
「皇子(みこ)」に過ぎない者に
「美名」をおくり名する意味


「美名」と
「埋葬された場所」


この二つを見れば
厩戸王」に対して
古代の皇族が
どういう「眼」で見て
「怖れて」いたかがわかります

 

 

 
(画像は 日文研 http://db.nichibun.ac.jp/ja/d/GAI/info/GM033/item/014/ より)

 

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